明治42年の渡米団

▶ 関連資料へのリンク

  ・渡米団の随行記には3ヶ所に神野にルビがあるが1ヶ所だけカンノとあるが間違いだと思う

  ・渡米団は日米両政府の公式行事であり、明治天皇と総理大臣から送別の宴を賜っているので、姓の読みの

   確認は絶対行われているはず、明治42年時点でカミノ姓であったことの証拠と考える


▶ 国立国会図書館デジタルコレクション(ネタ元)

沢栄一記念館も上下巻は持っており、展示もするとのこと

・新洋行土産. 上巻

・左画像をクリックで該当ページにリンクします

・リンク先は渡米団の軽い失敗のエピソード、初代金之助も

 上遠野富之助も記載されてます

・前半は同行記者の出発から帰朝間の日記があります

・初代金之助の姓を「かみの」が2、「かんの」が1

 


・新洋行土産. 下巻

・左画像をクリックで該当ページにリンクします


・米国見物

・左画像をクリックで該当ページにリンクします

・作者は渡米実業団のメンバーではなく「やまと新聞」の

 特派員である

・初代金之助の姓を「かみの」が1、「かんの」が3


▶ 渡米団集合写真(神野金之助重行より)

 ・神野金之助翁は渋沢栄一氏の右上にいます


▶ 神野さんは渋沢栄一氏がすごく好きだったよう

 ・渋沢栄一記念財団から流用の写真(ここをクリックでソースにリンク

 ・上の写真はアメリカでの記念写真で下の写真は渡米壱年を記念した名古屋での写真

 ・金之助は渋沢が好きなようで、アメリカでは右上に、名古屋では隣に座っている

 ・銀行の経営を問うて知り合い、渡米団で親しくなり、金之助翁頌徳碑の文字は渋沢栄一氏の揮毫

 ・神野金之助重行の書籍の巻頭には渋沢栄一氏による文章が書かれている