江西の田畑七町一反歩を村民に

▶ 神野金之助重行 より

 初代金之助は明治9年に紅葉屋に入り、兄亡き後、責任者として紅葉屋の経営に専念した。明治11年に本籍を名古屋に移したが、故郷江西に残してきた住民を想い、翌明治12年3月に江西住民71戸に対し神野家の田畑7町1反歩を分与した。(田の名義は神野家のまま)

 父金平が家督を相続した時は5・6町歩だったが、その後資産を増殖し19町歩の土地を得て初代金之助に引き継いだのである。

 大正9年6月7日、江西にある土地19町歩(20万円と現金20万円余で神弘済会を設立し、江西公会堂の建立他、江西の発展に寄与した。




▶ 愛知県平民神野金平外一名ヘ銀杯賜与ノ件