▶ 鵜多須門の歴史
・鵜多須代官所・鵜多須陣屋(愛西市・旧八開村)の門だった
・明治7年4月払い下げで八開村(江西)出身の神野金平・神野金之助が落札
・明治9年早春に江西の本宅改築後に鵜多須門を建てる
・しかし濃尾地震(明治24年10月28日)で倒壊したが門扉のみ無事であった
(門の建物は破壊されたので処分された)
・明治29年の神野新田完工式後に八開村の自邸から神野新田開拓事務所に門扉を移築
・昭和7年に神野新田開拓事務所から門扉を名古屋某所に再度移築
(門の土台と敷石は保管されていて移築時に再度使われた)
・平成に入り、敷地内の現在の場所に落ち着く
▶ 旧神野新田事務所で鵜多須門が取り付けられていた門
・明治29年に神野新田事務所に門扉のみ移設した
・昭和7年に三渓荘に移された以降、神野新田事務所の門戸は無いままであったようだ
・門があった長屋を含む建物はも神野土建、神野新田土地改良区(神野新田資料館)と変遷
・2018年頃、長屋は取り壊された
*** 下はストリートビューで動かすことができます ***
▶ 三渓荘時代の鵜多須門(昭和7年~ 年)
・神野新田事務所から神野金之助重孝の別荘三渓荘跡に移築されたの門(門扉のみ流用)
・重孝照影に由来が書かれています
▶ 現在の鵜多須門(建てられた時期は調べていません)
・鵜多須代官所払い下げの長屋門で、旧神野新田事務所でも使われていた門の写真です
・現在でも名古屋某所に下の写真の状況で保存されてます